卒業式は通過点に過ぎないけれど…
今週のお題「卒業」
「卒業」というと、ずいぶん遠い過去で起こった出来事だなと思い返しました。
幼稚園の卒園式から始まり、小学校、中学校、高校、大学の卒業式をそれぞれ経験してきました。
これまでの人生で、「卒業」ということを5回も繰り返してきたというのに、あまり卒業式のことを思い出せないのです。
例えば、
- 卒業式だった担任の先生はどんな人だったか?
- 卒業式の時、どんな歌を歌ったのか?
- 卒業式の時、仲の良かった友人は誰だったか?
- 卒業式の時、私は泣いたのだろうか?
これらを思い出そうと思っても、ちっとも思い出せません。
歳月が流れ過ぎて、記憶からすっかりと抜け落ちてしまったようです。
ただ、2つだけ覚えていることがあります。
一つ目は、それぞれの卒業式に抱いていた感情です。
私にとって卒業式は決して悲しかったり、寂しかったするものではなく、どれもこれもこれから先に進めるんだと希望を抱いていました。
小学校の卒業式
小学校を卒業して、地域の中学校へは行かずに、私立中学校へ進学しました。
今までは全く違う新しい友人と出会えるんだと、ワクワクしていました。
中学校の卒業式
中学の卒業式は、中高一貫学校だったので、中学3年間過ごしてきた友人と全く離れるわけでもありませんでした。
ですので、中学の卒業式は、学校行事の一つぐらいしか思っていませんでした。
高校の卒業式
高校の卒業式は、女子高6年間だったので、女子ばかりの環境から抜け出して、共学の大学へ行くことが楽しみでしょうがなかったです。
大学の卒業式
一番記憶が近い大学の卒業式は、キリスト教系の大学だというのに、みんなが着るからという理由で袴を着ました。
大学を卒業して、就職先で働くことに、少しの不安と自分もいよいよ社会人なんだと気の引き締まる思いがしていました。
大学の卒業で一番思い出に残っているのは、当時付き合っていた彼が、大きな花束を抱えて、大学まで迎えに来てくれたことです。
花は枯れてしまったけれど、私の心の中にあの美しい花は咲いたままです。
こんなに素敵な思い出を残してくれて、いい彼だったなと思います。
それぞれの卒業式で覚えていることの二つ目は、いつもは母が卒業式に出席してくれて、そばにいてくれたことです。
私は4人きょうだいなので、母はすべての卒業式、つまり合計で20回も出席したことになります。
母も忙しかったと思うのですが、それぞれの子供の卒業式に必ず出席していたのだなと思うと、母には感謝の気持ちでいっぱいになります。
社会人になってからは、卒業式はありません。
卒業式は、人生のマイルストーンとなり、その節目ごとに新たな気持ちにさせてくれました。
卒業式は通過点に過ぎませんが、卒業式がなくなった今となっては、人生の貴重な経験だったと思いました。
なぜなら、節目がなくなったことによって、時がさらさらと流れていくばかりだからです。