アラフィフからのスイス暮らし

『NEVER TOO LATE』をいつも心の真ん中に置いて日々暮らしています。

ベルリン旅行4日目最終日ー帰りはさっくりと飛行機で

ベルリン4日目の最終日です。

行きはのんびりと電車で9時間かけてベルリンに来ましたが、帰りはBerlin Schönefeld空港から19時発のeasyjetに乗ります。

ヤミさんと相談して、もっと歴史に触れるところを回ろうということになりました。

まずは、『Führerbunker(総統地下壕)』へと向かいました。

 

なにも起こらなかったかのようなヒットラー最期の地

この地下壕は、アドルフ・ヒットラーが妻のエーファ・ブラウンと共に自殺を遂げた最期の地です。

私は現在建物は取り壊されて何もないことを知っていたのですが、ヤミさんがどうしても行きたいと言っていたので、行ってみることにしました。

案の定、すっかり更地で集合住宅の駐車場になっており、パネルの説明が設置されていました。

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このパネルがなかったら、ここで過去に何も起こっていなかったかのように完全に存在を消されていました。

ここは5分ほどで切り上げて、近くのかつて秘密警察ゲシュタポと親衛隊の本部があった場所に立つ博物館『Topographie des Terrors』へと向かいました。

 

ナチス政権下の悲惨な事実を知る場所

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ナチスの台頭から第二次世界大戦の敗戦までのナチスが犯してきた非道な過ちを時系列で写真や書類等の記録物が展示されています。

目を背けたくなるほどの悲惨な写真は、同じ過ちを二度と犯してはならない事実であることを訴えかけます。

ここで初めて知ったことですが、ユダヤ人だけでなく、ホモセクシャル障害者ハンセン病患者RomaSinti(一般的にジプシーと呼ばれている)までもナチスのイデオロギーに基づく『劣等人種』であるとみなされ虐殺されていたのです。

日本で『上級国民』という言葉がよく言及されるようになっていますが、すべての人が平等であるべきところ、上とか下とかという表現が用いられることに危機感を感じています。

この博物館は無料で公開されており、是非ベルリンに行く機会のある方は訪れてほしい場所の一つです。

そして、U-Bahnに乗って『Brandenburg Tor(ブランデンブルグ門)』へ行きました。

 

ブランデンブルグ門の近くの『Raum der Stille(静寂の部屋)』とは

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ここでは観光名所として多くの人が写真撮影をしていました。

ベルリンの壁崩壊をテレビのニュースで目にした時に、民衆が壁に登って、歓喜の叫びをしていた背後にあったブランデンブルグ門を実際に見ることが出来て感慨深いものがありました。

ブランデンブルグ門の右手にある『Raum der Stille』という看板を見つけ、なんだろうと興味がわいて、中に入ってみました。

入口にちょこんと座っていたおばあさんにヤミさんが「ここには何があるのか?」と訊くと、「Stille(静寂)」と答えました。

更に中の部屋に入ってみました。

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壁には茶色い色調のタペストリーが掛けられ、優しい光が部屋に差し込んでいました。

部屋の中には椅子が並べられており、何人かが静かに座っていました。

私たちも空いている椅子に座ると、なんともいえない静寂の音を感じました。

静寂に音があるか?とツッコまれそうですが、心地よい無音。

誰もが静かに座って、ただただ静寂の中に身を置いていました。

入口にあった日本語の説明文には、「ここは人種や階層等すべての違いを越えて、すべての人が沈黙を享受できるように提供された場」と書かれていました。

平和の門として建てられたブランデンブルク門の本来の理念を尊重し、ベルリンの壁崩壊の後、この部屋を作ろうという市民運動がきっかけとなりできた部屋です。

外の喧騒から離れつかの間の時間でありましたが、優しさに包まれた不思議な静寂の空間でした。

 

それから10分ほど歩いたところにある『Reichstagsgebäude(ドイツ連邦議会議事堂)』へ行きました。

 

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事前予約がないと厳しいドイツの国会議事堂

 

日本の国会議事堂は車で通りすぎるだけだったので、遠くからなのでどのくらいの大きさかは分からないのですが、ドイツの国会議事堂もかなり大きな建物でした。

内部も見学することができるのですが、事前にWeb予約をしていなかったので、かなり待たなければならないようなので、外から眺めただけでした。

そして、ベルリン最後の観光地となる『Denkmal für die ermordeten Juden Europas(虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑)』へ行きました。

 

不思議な無数の石碑

広大な敷地に、高さのことなるコンクリートの石碑が2711基あります。

石碑は内部に進むにつれて高くなり、どこかの迷路に迷い込んだかのような感覚になります。

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石碑の地下は、資料館になっています。

資料館はセキュリティチェックで入館に時間を要するために、30名ぐらいの列になっていましたが、20分ぐらい待って中に入りました。

入口を入ってすぐに、第二次世界大戦とドイツによるユダヤ人の迫害の歴史が順を追った丁寧な説明文が展示されています。

先に進んだ部屋には、手紙がドイツ語と英語で展示されています。

もうすぐ殺されてしまうと覚悟し家族に最後に宛てた手紙を読んで、どんな気持ちで手紙を書いたのかを想像するだけで、胸が締め付けられる気持ちになりました。

 

フライト時間まで残り少なくなってきました。

U-BahnでFriedrichstrasseまで行き、ホテルのあるStadtmitteまで街の散策をすることにしました。

 

ベルリン中心部を南北に走る大通り

Friedrichstrasseは、ショップやカフェが並んでいます。

高級ハイブランドもあり、雰囲気としては銀座のようです。

ゆっくりと歩いてホテルに預けておいた荷物を取り、Berlin Schönfeld空港へS-Bahnに乗って向かいました。

もっと早く行ける電車もありましたが、空港まで1時間弱かけてベルリンの街を窓から眺めて楽しみました。

 

あっという間にスイスに戻る

 行きは電車で9時間かけてベルリンに行きましたが、帰りは飛行機で1時間半であっという間にスイスに戻ってきました。

ベルリンは緯度がスイスより高いせいか刺されるような寒さを感じましたが、スイスはベルリンに比べなんとも優しい寒さでした。