思い出いっぱいの古いアルバムを処分するということ
築50年を超える実家を、建て替えることになりました。
昨年夏に、日本に帰国した際に、自分の衣類や書類等は捨てるものと捨てないものに分けてきました。
いよいよ今日から建物の解体が始まるため、日本にいる母親、姉妹、甥たちが総出で、2週間ほど前から、家にあるものの整理を始めました。
家にあるものを片付けしているなかで、最終的に残ったものは思い出いっぱいの古いアルバムでした。
この記事は、身の回りの本当に必要なもの、モノの捨て方、アルバムの処分について書いていきます。
家にある約70%のモノは不要品だったという事実
私の実家は5階建てで、2階と3階がらせん階段で繋がっています。
住居部分が比較的広かったので、家族も多かったこともあり、50年間の間に積もりに積もってモノがどんどん増えて行きました。
食器類、置物類、寝具類、着物類、靴、衣服などキリがありません。
実家で整理をしている家族が、処分する際にLINEや電話で私に報告をしてきました。
毎回、家族が
『なんで使わないものを、こんなに買っちゃったんだろう!?買っていなかったら、どれだけお金を貯められたことか!』
と愚痴っていました。
私の家族は、捨てることが嫌いなため、どんどんモノが溜められていきました。
しかし、建て替え中に住む家は、今まで住んでいた家よりもかなり狭くなるため、家にあるものをすべてて持っていくことはできません。
日常生活に必要な食器類、衣服類、家電製品を絞り込み、それ以外の物はゴミに出したり、家の前に並べて「ご自由にお持ちください」と書いておいたそうです。
結局、今まで家にあった約70%のモノを処分したと聞きました。
モノで溢れていたにもかかわらず、本当に必要なものは限られているものです。
そして、家族は最後には
『もうなにも買わない!ミニマリストになる!』
と言って意気込んでいます。
いやいや、生きている限り、必要なものは買わなくてはいけないし、物欲だってあるのだからそれは絶対ムリなことです。
やらなくてはいけないことは、何か一つ買ったら、一つ捨てるというように、モノを取捨選択していくことが大切です。
私は衣服等身に着けるものを1つ買ったら、1つ処分すると決めています。
スイスには、衣類、靴、バック等のリサイクリングシステムがあるので、まだ使えるものを処分するのに罪悪感はありません。
思い出いっぱいの古いアルバム
アルバムを処分するのには、時間がかかります。
アルバムを処分するにせよ、1ページ1ページ見返えして、ページをめくるたびに写真に写っていた時のことを思い出します。
そして、写真を見ながら、いつ、だれと、どこで撮ったのかと、思い出す作業が自然と始まってしまうからです。
とかく自分が写っている写真を捨てることには、誰しもためらいが生じてしまうのではないでしょうか?
また、思い出の写真を捨ててしまうと、思い出まで捨ててしまうようで寂しくなってしまうものです。
小さい時の写真などは、数十年以上開かれることのなかったアルバムなので、必要かと言われると、今の生活には必要ではありません。
ここでセンチメンタルになり古いアルバムを残すと、これからの数十年また開かれないままのアルバムになってしまい、場所を取るだけです。
クラウド上のアルバムはいつまでも残る?
この数十年で、写真がデジタル化されたので、物理的には場所を取らなくなりました。
アルバムや写真は、ストレージやクラウド上に保存されます。
ハードディスク、DVD、CDなどのストレージは別として、クラウド上に保存した場合、自分が死んだらどうなるのか、とふと考えてしまいました。
自分で処分しない限り、自分でクラウド上に保存したものは、残り続けることになります。
例えば、Googleのように絶対につぶれないような会社のクラウドに保存したら、地球が滅びるまで、私の思い出は残り続けるのだろうか?と考えてしまいました。
私がこの世からいなくなったら、誰にも見られる可能性はないけれど、私の思い出がどこかにずっと残り続けるというのは良いことなのかそうでないのか、簡単に答えが出せません。